反貧困運動の難しさ【宮下公園封鎖問題および湯浅誠氏への意見】

現在展開中の宮下公園封鎖・NIKE公園化阻止運動を枕詞に、
 みんなの宮下公園をナイキ公園化計画から守る会
 http://minnanokouenn.blogspot.com/
反貧困問題に取り組む湯浅誠氏の運動手法について少し意見を書きたい。


  湯浅誠



その前にまず述べておかなければならないことは、
野宿者(いわゆるホームレス)の方々の困窮や実情を
少しも知らない阿呆の日記が、以前よりは減ったが、いまだ散見されることである。


ネットで真実を知った無知蒙昧・低能愚劣なネット右翼ネトウヨも最近はすっかり減少し、
もはや何ら影響のない「エア右翼」と化しているが、
「自室ネットワーク管理者」および「自室予備自衛官」に専念しとけと言いたい。


勘違いしているのか、ただの無知なのか、
野宿者の殆どが労働者であることを知らない人は多い。
更にまた「小泉改革」(小泉改悪)以降盛んに喧伝された「自己責任論」に煽られて、
野宿生活者の生活も「自己責任」の結果と思い込んでいる馬鹿もいる。


私は某所の公園で暮らす方々と接点を持っているが、
彼らは、なかなか定職を得ることが出来ず、住む場所を得ることも出来ず、
行き場がなく、貧困の極みにあるからこそ、致し方なく公園に住んでいるだけである。
廃品回収業などに従事し、わずかな収入を得て何とか生活している労働者である。


国や地方自治体の施策によって、
野宿者の自立・就労支援をうたう「自立支援センター」があることにはあるが、
実際に支援が不可欠な野宿者の数に対して、まず収容人数に大きな乖離がある。
無いよりはマシだが、現実的なかなか「支援」としては機能していない。

しかも「自立支援センター」の入所期間は限定されており、
就業先が決まっていなくても、期限が来れば追い出される。
 ※東京都の施設は大概が原則2ヶ月


更に施設の構造というのは、
入所者の生活への配慮に大きく欠けるところが大部分で、
まるで刑務所か収容所である。


強調しておくが、おまけに事実上、就労支援にほとんど役立っていない。
一時的に収容して、また野宿者へ逆戻りさせているだけなのだ。


また、「自立支援センター」の存在そのものも、
実際の野宿者には殆どきちんと知らされていない。
某市の例をあげれば、案内は連絡先もまともに書いてないようなA4の紙きれ一枚だった。
驚くべきことに、詳しい情報はネット上に掲載されているという状況なのだ。
常識的には、野宿者・困窮者がネットを使える環境にいる訳がないということは明らかだろうが。



だから、一応は趣旨には賛同しているものの、少々ムカつくのは、湯浅誠氏も関わる
    
「自立生活サポートセンター・もやい」や「反貧困ネットワーク」の活動に対してでもある。
http://www.moyai.net/
http://www.k5.dion.ne.jp/~hinky/


なにゆえネットでばかりの情報発信なのか?


正直なところ、「反貧困」という言葉だけが上滑りしているように感じるのだ。


16日(土)は東京で集会があった(この件に関してはまた別に取り上げたい)
http://www.moyai.net/modules/d3blog/details.php?bid=755
更に20日(水)には京都で活動があるが、
http://unionbotiboti.blog26.fc2.com/blog-entry-142.html
これも、もしかしてネットだけで情報発信なのだろうか?
きちんと当事者へ情報が伝わっているのか心配でならない。


更にムカついたのが、某メーリングリストで、
先日、以下の内容のメールが転送されて来たのを見た時だ。
もともとの発信者は著名な湯浅誠氏。
DVDの宣伝である。
貧困問題を周知するためのDVDが何で6000円もするねん。
たかが40分足らずの作品に、そんなに制作費かけとんのか?


  ※※※※
<DVD情報>
広く作品について知っていただくため、プレス版を用意いたしております。
ご希望の方はアジア太平洋資料センター
(TEL:03-5209-3455 メール:video@parc-jp.org 担当:小池)までお知らせください。
●作品タイトル 「近くて遠い、遠くて近い貧困問題 自分とつなげて考えてみました」
●価格     6,000円+税(図書館価格 16,000円+税)
●作品詳細   36分 DVD/VHS(日本語) 2010年
●制作     特定非営利活動法人 アジア太平洋資料センター(PARC)
●監修     湯浅誠
●構成     貧困ビデオ制作プロジェクトチーム+小池菜採+鈴木敏明
●プロジェクトチームメンバー
松山晶(国際基督教大学) 竹井沙織(福岡大学) 堀江利雅(西南学院大学
田村かすみ(東京外国語大学) 福井崇郎(九州大学大学院) 五島萌子(埼玉大学大学院)
小島鐵也(氷河期世代ユニオン) 大西渉(国際教養大学
鞆詩織(埼玉大学) 吉田恵理子(埼玉大学 09年卒) 村山あさひ(埼玉大学
http://parc-jp.org/video/sakuhin/hinkon.html

●作品の章構成
1.つながっているのかな?
−あなたのまわりに貧困はありますか?
−お金と暮らし
−お金を得る方法
−労働に望むもの
2.労働と貧困はつながっている?
−就職の現実
−貧困を生み出す労働の形
3.どんなふうに働いていますか?
−仕事、それぞれの現実
労働基準法が定めていること
4.安心して生きていますか?
−世界最下位競争
−自分が貧困になる可能性
−安心して暮したい
5.どうしたらいいのかな?
−政府の役割
−地域と市民の可能性
−みんなで話したい

★より詳しい情報はhttp://parc-jp.org/video/sakuhin/hinkon.htmlをご覧ください。

特定非営利活動法人 アジア太平洋資料センター(PARC)>
南北問題の解決を目指して、1973年に設立された団体です。30年以上もの間、
アジアの市民団体、研究者とのネットワークを活かして、エビやバナナ、水、
100円ショップなど、私たちの身近な題材を切り口に、日本とアジアの関係を考
える調査・研究活動を行なってきました。その成果として制作された教材ビデオ
は30作品を越え、日本全国の高校・大学棟の教育現場でご活用いただいています。
  ※※※※


先にも書いたが、「反貧困」という言葉が「上滑り」しているように感じるのは、
こういったモノを見てしまうからなのだ。
ここ数年で「反貧困」という運動が世間に喚起されたまでは良かったが、
実質的に野宿者や困窮者が、現状ではどうなっているのか、
私が知る現実は無論のことほんの一部分だが、非常に悩んでしまう。



先に
「ネット中心の情報発信では本来の当事者へ情報が共有化されるのか心配」
という趣旨のことを書いたが、
もちろんのことながら、
>当事者へ情報が伝わっている
からと言って、貧困問題が簡単に解決することはありえない。


しかしながら、むろん、限界はあるもののネットというツールの有効性は私も認めてはいる。
当然、情報共有の遅れが発生することがあるのも、ある程度は仕方ないとも考えてはいる。


ただ、やはり問題は「情報共有のレベル」が、
反貧困支援運動の中で格差が大きすぎることではないか、と考えているのだ。
どうも支援者の中にも勘違いしてる人が多いようなのだ。


情報共有化(認識のレベル)の件で、私が特に神経質になるのは、
レイシズムや反貧困に関わる活動で、
「ある程度は仕方ない」では済ませることが出来ない事態があったからなのだ。
「情報のレベル」が、当事者不在のままの「認識」になり、
一部の支援者が先走っった結果、
更には別の方々にまで被害が拡大する恐れや、実際に迷惑がかかった例があったからだ。
情報の共有化の失敗によって、発生した問題が多々あるのが実情である。


やはり、どうあがいても当事者不在の支援は本末転倒だと言わざるを得ない。
私が直接知らない過去の反貧困運動(約10年前のもの)も、
三者という視点で見れば、やはり当事者を忘れたとしか思えないような
支援者側の内紛でおかしな方向へ傾き、行政側(権力側)の勝利に終わってしまっている。


当事者と支援者との間で「共有すべき情報と認識」とが、
必要な時に必要な人に届けられているという「支援のカタチ」が実現出来ていれば理想だが、
やはり人間がやることなので、必ず間違いがあるのが厳しい現実である。
当事者が多々存在し、支援者も多々存在する以上は、
ある程度は割り切るべきことなのも確かなのだが、
貧困者支援・マイノリティ支援など、こうしたセンシティヴな問題については
どれだけ気をつけても過ぎることは無いということを肝に銘じておかないと、
同じ轍を踏み続けることになるのが、これまでの支援運動の結果ではないか。


この問題を超克することが必要なのだが、
その方法論として見た場合、「もやい」や「反貧困ネットワーク」の手法には
やはり「当事者不在」という限界点が既に目立つように感じてしまう。
(もちろん活動の方向自体は支持してはいるが)


まず情報共有のレベルに齟齬が大き過ぎる、という感を抱いている。
良いように捉えれば、それだけ様々な層へ訴えられているというメリットとも考えられるが、
現状の手法のままだと、どうしても「上滑り感」が否めない。


先のDVDの例のように、何故、支援者の負担増みたいな状況が発生するのか?
あの価格設定では、やっぱり本末転倒だろう。
湯浅誠氏の活動に留保付の支持しか出来ないのも、
どうも彼が今やっている活動の大部分がそんな具合に見えるからだ。
有名になったことを利用している手法を全否定はしないが、
方法論としては、かなり甘っちょろい。
権力の力を利用しようとしているというしたたかなマキャヴェリズムにも見えない。
売名行為を繰り返しているようにしか見えない。


先日もNHKの『一週間de資本論』というイマイチの番組に、
しょーもないマルクス学者(的場昭弘氏)の対談相手として出演していたが、
二人で「剥き出しの資本主義」を合唱するだけでどないすんねん、だった。


今回の宮下公園問題については、当面の相手は行政とナイキという大企業の事例だが、
もちろん貧困問題は一朝一夕では解決できはしない。


近いところで元をたどるだけでも、戦後の高度経済成長期にまで原因がさかのぼり、
 (…あいだは省略(語りだすときりがないので(笑))
現在では、経済の新自由主義グローバリズムという
無茶苦茶に強力な問題が立ちふさがっている。


これにどう立ち向かうのか、という部分でも、
当事者・支援者間の意見や立場はまずかなり異なるのは確実だ。
しかし、意見や立場が完全に一致する・させることなどまず不可能だし、
一致したら却って気色悪い。
模索の中で、同意できる点を見つけて進むしかないのだろう。


ただ決して忘れてはならないのはやはり「当事者の立場」なのだ。
そこから始める活動が基本だろう。




http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101014-OYT1T01383.htm
使用料払っても…ナイキ、宮下公園命名権使わず
(読売新聞 - 10月15日 03:05)
 スポーツ用品大手「ナイキジャパン」が命名権を取得した東京都渋谷区立宮下公園について、同社は14日、新しい公園名に予定していた「宮下NIKE(ナイキ)パーク」の名称を使わないと発表した。
 命名権料は契約通り支払うが、来春に再オープン後も従来通り、「宮下公園」のままとなる。公共施設の命名権ビジネスが広がりを見せる中、多額の使用料を支払って取得した命名権を行使しないのは異例。
 同公園を巡っては、命名権取得に反対する市民団体が公園内を不法占拠しているとして、同区が先月、テントなどを行政代執行で強制撤去したばかり。このテントなどがあったため、着工が約1年遅れていた。同社では、「命名権取得は地域貢献の一環で、企業名を出すことにこだわりはなかった。多くの人に公園を利用してもらうために新名称は使わないことにした」と説明している。