社民党の終焉【「55年体制」から始まっていた?】

社民党、辻元氏の離党届を正式に受理
>社民・又市副党首が辞任届…福島党首は慰留


昨日、辻元清美氏の社民党離党届が受理されました。


辻元氏の離党については以前にも書いたので、
改めて思うところは特にありません。

有権者の役割【「批判だけでは日本変えられない」と辻元氏、離党会見で】
http://d.hatena.ne.jp/prolegomena/20100729/1280355216


実は昨夜、彼女直筆の「支援者へのメッセージ」(コピー)を読みました。
やはりどう読んでもただの「言い訳」にしか見えませんでした。
野党(しかも弱小)の役割を理解していない(=馬鹿)としか思えませんでした。


そもそも私は辻元氏に何の期待もしていなかったので、
彼女の行動を「裏切られた」とか「日和見」とか、そういう感想は持っていません。


特定組織に属さない「市民派」という
耳あたりの良い響きの言葉で彼女の存在意義を表現する人もいるのでしょうが、
社民党という組織に身を置いて国会議員になった以上は、
彼女のとった行動は「無責任極まりない」という非難を受けて当然でしょう。



で、今度は又市征治氏が副党首を辞任です。
福島瑞穂党首の求心力のなさという責任問題もあるでしょうが、
もはや社民党の役割自体が終わりつつあるのかもしれません。


社民党の前身である日本社会党
いわゆる「55年体制」以来、野党第一党でありました。


しかし、歴史的な事実という結論から述べれば、
自民党による悪政を止めることが出来たでしょうか。
 ※ある程度の歯止めにはなりましたが…。


日本社会党だけに責任を押し付けることは出来ませんが、
野党第一党としての役割を果たしていたか、というと疑問を抱かざるを得ません。


現在の日本の窮状を見ると、日本社会党は、
むしろ間接的に自民党政治を擁護してきたとさえ私は考えています。


組織としての「方針や主張の一貫性のなさ」が全ての原因でしょう。
完全一致は気持ち悪いですが、日本社会党は人数はいても単なる野合でした。
 ※日本共産党のような異分子を認めない「鉄の規律」にも私は異論を持っていますが。


日本社会党の「政党」としての「凋落の始まり」となったのは
細川連立政権に与党として参加したこと、自社さ連立政権の成立でしょう。
更には国政では野党でありながら、地方選挙では常にオール与党だったことです。
もともと社会党に一貫性を求めること自体が無理な話なのかもしれませんが、
あそこまで節操のない行動を繰り返す政党が支持を得られたはずがありません。
 ※現在の自民党民主党も無節操ですが、支持層が異なります。


その後、社会民主党と党名を変え、党首も変わる訳ですが、
日本社会党以来の無節操さは相変わらずのままでした。
支持も党勢もますます失われ、名実ともに単なる少数野党になりました。


社民党は、日本社会党以来、革新政党としての役割を
全く理解していなかったと私は結論を出さざるを得ません。



こうした社会党の崩壊、日本共産党の凋落で、
いわゆる左派の政治的運動は危機に瀕しているでしょう。


それ以上に日本の政治や経済は破滅的な危機にある訳なので、
ここで民衆が踏ん張らないとダメダメです。


ではまず何をなすべきなのか。
最後にある人物の言葉を書いておきます。


 実際社会主義の運動も、今迄はままごとのやうなもので、真剣勝負は是れからです。
   − 幸徳秋水



http://www.news24.jp/articles/2010/08/19/04165078.html
社民党、辻元氏の離党届を正式に受理
日テレNEWS24 - 08月19日 16:04)
 社民党は19日、辻元清美前国交副大臣の離党を正式に認めた。
 社民党は19日、福島瑞穂党首ら幹部の会合で、先月に離党届を提出していた辻元氏について、離党届を受理して正式に離党を認めることを決めた。除名などの処分は行わないという。
 辻元氏の離党をめぐっては、福島党首の有力な後継者だったことから党幹部らが慰留したが、辻元氏の意思は固く、離党届の提出から3週間以上がたって、ようやく離党が認められた形。


http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100820-OYT1T00084.htm
社民・又市副党首が辞任届…福島党首は慰留
(読売新聞 - 08月20日 00:57)
 社民党又市征治副党首が、7月下旬に副党首の辞任届を福島党首に提出していたことが19日、明らかになった。
 参院選敗北や辻元清美衆院議員離党の責任を取る姿勢を示すことで、福島氏にも辞任を促す狙いがあるとみられる。
 福島氏は19日、国会内で又市氏と会談し、慰留したが、又市氏は応じず改めて協議することになった。