被害者であり加害者であること【広島で65回目の「原爆の日」】

>広島で65回目の「原爆の日


原爆の犠牲になった方々の御冥福を心から御祈りする。
潘基文国連事務総長、核保有国の代表の平和記念式典への参列も歓迎したい。


ヒロシマナガサキで数十万人もの方が犠牲になってから65年。
当時の記憶を鮮明に持つ人々も、もう少なくなってしまった。
だからこそ、原爆投下という重大な「戦争犯罪」の一つは
歴史の事実として伝え続けなければならない。
日本の各都市に対して行われた無差別爆撃も同様である。
 ※戦争犯罪:既に「ハーグ陸戦条約」を大きく逸脱した行為だからである。


 日本が核攻撃されないために核武装すべきという
 政治家や保守系論者を気取ったネット上の阿呆ども
 (ネット右翼ネトウヨ・ネトクズ)がまま見られるが、
 そういう馬鹿どもの存在は、私にはもはや理解不能である。
 理解したくもないが。


残念ながら、今のところ戦争をなくすことは人類にとって困難なのが実情。
だからこそ日本政府は、少なくとも核廃絶については要求し続けるべきである。
これは何百万という戦争犠牲者の方々に対しての義務であろう。
国家がそれをしないというのであれば、そんな国家は不要だ。



これを書くと誤解を受けるかもしれないが、あえて書きたい。


当時の日本の殆どの大都市は無差別爆撃を受け、
沖縄では地上戦が展開され、広島と長崎には原子爆弾が投下され、
戦闘員・非戦闘員に関わらず多くの人々が殺された。
その点においては被害者である。


しかし日本人が絶対に忘れてはならないこと、覚えておくべきことがある。
日本人の多くは、被害者であると同時に加害者だったということだ。
国家総動員法」を持ち出すまでもなく、戦時協力体制の下に、
殆どの国民が国家権力の意向に従い、戦争に加担し続けていた。
積極的・消極的のいずれにしても、である。
結果、アジア・太平洋地域で何百万人という犠牲者を生み出していたのだ。


加害者になるのは、国家権力の意向に従った者であり、
同時に被害者になるのも、国家権力の意向に逆らい切れなかった者である。
戦争を遂行するのは、時の権力者であるが、
それに協力するのは民衆であり、犠牲になるのも結局は民衆なのである。


だからこそ、国家という権力機構などを軽々しく信用してはならないし、
ましてや「国権の発動」などという美名に飾られた、
戦争そのものを、何が何でも否定しなければならない。


平和の実現のためには、忘れてはならないこと、
そして、しなければならないことが、たくさんある。



http://news24.jp/articles/2010/08/06/07164228.html
広島で65回目の「原爆の日
日テレNEWS24 - 08月06日 08:24)
 広島は6日、65回目の「原爆の日」を迎え、午前8時からは平和記念式典が行われる。
 式典の開かれる平和記念公園には、夜明け前から多くの人が訪れている。式典には、国連トップとして初めて潘基文事務総長が参列するほか、核保有国のアメリカとイギリス、フランスの代表も初めて参列する。海外から過去最多となる74か国の代表を迎え、式典ではまず、この一年で死亡が確認された5501人の名簿が慰霊碑に奉納される。
 被爆者の平均年齢は76.7歳。広島市秋葉忠利市長は、平和宣言で老い被爆者の思いを広島弁で代弁し、日本政府には非核三原則の法制化などを求める。
 広島は6日、深い祈りに包まれる。