絶望者の教理問答【5】非在に支えられる存在

http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20090619-OYT8T00281.htm
臓器移植法改正案、解散にらみ審議…参院採決7月以降に
(読売新聞 - 06月19日 03:15)


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脳死を「一般的な死」と考えるのか否か、これは本来は多数決では決められないことで、倫理の課題となるべきことであるが、現実世界で必要とされていることであるから民主政治の手続きにのっとって、白黒をつけなくてはならないのだろう。
率直に言って、議論が成熟しているとは思えないし、世間の多くの人々の理解を得ているとも思えない。
しかしながら臓器の提供を受けなければ、生きて行けない人がいるという現実は厳しい。
一人の人間が誕生することは、大量の同胞の死(というか存在できないままであった生)に支えられている。
何億という精子の中の一つが、たった一つの卵子に出会い、そんな天文学的な確率の中で、ようやく一つの新たな生命が生まれる。
存在者その人は、多くの非存在者の非在によって、実存している。
多くの非存在者のあらゆる生の可能性を否定することでようやく生きている。
こう考えると、存在していること、つまり実存そのものの意味が非常に重要であると同時に、非常に過酷な(生命の存在の否定という)ことでもあるという現実に私は打ちのめされる。