絶望者の教理問答【4】自殺

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009052700853
自殺者、2カ月連続3000人=1日平均、初の100人超−警察庁


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Il n'y a pas d'amour de vivre sans désespoir de vivre.
「生きることへの絶望なくして、生きることへの愛はない」

「ひとにはそれぞれの運命があるにしても、人間を超えた宿命などありはしない」
 − Albert Camus

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希望の対義語は絶望である。
しかし希望をなくしたら絶望へと必ず陥るのか、というと少し疑問が生じる。
希望が成就しなかったら、人の多くは落胆するのではないか。

このように考えると、希望と絶望とは表裏一体のものではなく
対照的なものでもなく、かなり性質の違った状態だと言えよう。

絶望とは意識の、あるいは心的状態の一種である。
しかしながらそれは単に心理学的な意識ではなく、
もっと奥深く人間の存在に関わる根本的気分である。

意識は常に何らかの対象についての意識であるが、絶望にはその対象が欠けている。
何らかの事柄に関して絶望しているのならば、まだそれは絶望とは言えない。
一切が失われ、生が生きるに値せず、
自殺するという希望さえ絶たれている、そんな状態が絶望であろう。

キェルケゴールによれば「絶望とは死に至る病」である。
絶望は精神に起因するが故に、肉体の死によっても逃れられない不可避な病なのだ。
完全な逃避は不可能であり、終わりがない(死ぬことができない)ということだ。

しかしいくら哲学的な言辞を弄しても、自殺者がいるという現実の前には
哲学が自殺をとどめる役割を果たしているとは言えない。
カミュが述べたように「自殺を止めること」、これこそが哲学の第一の役割だろう。

人が自殺を決意する時、人は運命に超えられたと考えている。
この状況からは永遠に逃れられないという不可避の運命。
そこに絶望が立ち現れて来る。
自殺する人にとって、逆説的に、自殺が希望のひとつとなってしまっている。
それを選択するしか自己は自己でありえないという絶望的な希望。

しかし、自分自身を超える、不可避の運命などあるのだろうか。
ありはしない。
自分が自分である限り、運命は自分の手の内にあるはずだ。

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「生きることへの絶望なくして、生きることへの愛はない」
「ひとにはそれぞれの運命があるにしても、人間を超えた宿命などありはしない」